ボリウッド

ボリウッドダンスに関するレポートや記事の一覧です。

インド映画の定番 ボリウッドダンス挑戦 秋の祭りへ稽古開始

2011年7月9日、読売新聞

インディアメーラー 2011

2011年10月に神戸で開催される関西最大のインドの祭り「インディアメーラー 2011」で、インド映画の定番パフォーマンス「ボリウッドダンス」を参加者1000人が一斉に踊る特別イベントが行われる。ダンスは、2009年に米アカデミー賞最優秀作品賞など8冠に輝いた「スラムドッグ$ミリオネア」にも登場し、米国や日本で教室ができるなど人気が高まっている。開催実行委は7月10日から、「当日に自信を持って楽しめるように」と、大阪市北区の中津芸術文化村でダンスの稽古を始める。

ボリウッドダンスとは

ボリウッドダンスは、インド古典舞踊やヒップホップなど様々なリズムを組み合わせたミュージカル・ダンスで、華麗な衣装を身につけて大人数で踊る。ほとんどのインド映画で、比較的長いシーンとして取り入れられている。

実行委は、「今のインドらしさの象徴でもあるダンスを日本でも再現したい」と企画。祭りの前夜祭がある10月8日、神戸市中央区のメリケンパークで午後6時半から約30分、踊り続けることになった。

参加費は1回1500円

稽古は、7月10日~9月27日の火曜日(午後7時半~8時半)と日曜日(午後5時~6時)に開催。インドでダンサーとして活躍するインド人らが指導する。参加費は1回1500円で、2回以上の参加で「踊りをマスターできる」といい、10月1日午後2時からは本番に備えた合同練習を行う。

「スラムドッグ」の原作者、ヴィカース・スワループ発案

この祭りは、「スラムドッグ」の原作者でもあるヴィカース・スワループ駐大阪総領事の発案で2010年11月に初めて開かれ、2日間で予想の2倍を超える約5万人が来場。在関西インド人団体などから定期的開催を求める声が上がり、年1回の行事となった。

収益の一部は被災地に寄付

2011年は10月9日、10日に開催。ダンスやファッションなどインド文化を披露し、関西のインド料理や雑貨などの約60店が出店。収益の一部は、在日本印度商業会議所を通じ、東日本大震災の被災地に寄付される。

元気を取り戻す機会

実行委の山口かおるさん(35)は、「多くの仲間と踊ると一体感が生まれる。震災などつらいことが多い時期だが、インドらしさに浸りながらみんなで元気を取り戻す機会になれば」と話している。

ボリウッド

映画産業が盛んなインド西部ムンバイ(旧称ボンベイ)と、米映画の都ハリウッドを掛け合わせた造語。インドの映画産業を指す非公式な呼称になっている。



インド映画でおなじみ、ボリウッドダンス 笑って踊って楽しく

2011年7月15日

レストラン併設、福岡市内唯一の教室

ニラ先生「好きな福岡で、魅力伝えたい」

年間の映画制作本数、映画館観客総数とも世界一の映画大国、インド。インドの映画の都、ボンベイ(現ムンバイ)と米ハリウッドを掛け合わせて「ボリウッド」とも呼ばれるインド映画の特徴は、なんと言ってもにぎやかなミュージカルシーンだ。派手な衣装を着て、歌って踊るスクリーン上のダンサーたちの姿はいかにも楽しそう。そんな「ボリウッドダンス」の魅力に触れられる教室が、福岡市内に1軒だけあると聞いた。

生徒は男性1人を含む25人

色鮮やかなインドの雑貨で飾り付けられた約12畳ほどの広さのスタジオで、4人の日本人女性が大音量の音楽に合わせ、壁の大きな鏡に向かって踊っていた。福岡市早良区城西1の南インド料理店「あんまー」。レストランと壁1枚で仕切られたこのスタジオが、福岡で唯一ボリウッドダンスを教えてくれる教室だ。

ボリウッドダンスは古典舞踊やジャズ、ストリートなどあらゆるダンスの要素をミックスさせた踊り。アップテンポな曲に合わせて激しく踊るため、1曲でたっぷり汗をかく。シェイプアップ効果を期待できるのも魅力だ。現在、生徒は男性1人を含む25人。

インド南部の都市、チェンナイの出身

先生はインド人男性のニラさん(33)=本名・ナタラージャン・ニーラカンダン。「笑って、踊って、楽しく」がモットーだ。

ニラさんは、インド南部の都市、チェンナイの出身。5人兄弟の貧しい家庭に生まれた。物心ついた時からダンスが好きで、母親にダンス教室に通わせてほしいと頼んだが、「お金がないから」と許してもらえなかった。諦め切れなかったニラさんは、近所のダンス教室を外からのぞき、見よう見まねで踊っていたところ、その才能に教室の先生が気づき、十数年も無料で通わせてくれた。

5歳からダンサーとして活躍

5歳からダンサーとして活躍し、500本以上のインド映画に出演した実績を持つニラさん。10年ほど前、日本のバラエティー番組の仕事で来日したのを機に、そのまま日本に住み着いてしまった。とりわけ「福岡の人は明るくて優しい」と福岡が気に入り、2009年にレストランとダンス教室をオープンさせた。

先生の魅力

レッスンが終わるとインド料理を食べながら、ニラさんを交えて生徒同士が交流することもある。ダンスを習い始めて3年という30代の女性は「先生の明るい人柄にひかれて通っています」と魅力を語る。

ダンスの伝道師

「自分はダンスを踊るために生まれ、死ぬ時は踊りながら死にたい」とまで言い切るニラさん。今も映画出演のため時々、インドに帰ることはあるが、ダンスの伝道師は「これからも好きな福岡でずっとインドのダンスの魅力を伝えていきたい」と話している。

南インドレストラン あんまー

福岡市早良区城西1の6の10のルピナス西新1階。ムービー・ダンスレッスンは、水曜午後6~7時半▽木曜午後7~8時半▽日曜午後1~2時半。キッズ向けは木曜午後5時50分~6時50分。レストランの営業時間はランチが正午~午後3時、ディナーが午後6~10時。火曜定休。

インド舞踊教室でダンスを始めた日本人女性の物語(小松拓矢)

出産後、精神のバランスを崩したある日本人女性は、1984年にインド舞踊と出会うまで拒食症に苦しみ続けた。毎日酒だけ、あおるように飲み、50キロ以上あった体重が30キロ前後まで落ちた。8カ月の娘を抱えて外出すると道が歪(ゆが)んで見えた。「ひょっとしたらアル中?」。怖くなったが、酒をやめられない。

 このままではおかしくなってしまう。追い詰められた末、偶然見つけたインド舞踊教室で「ダンスを始めたい」と言う女性さんに、夫も両親も「そんなにやせた体でできるわけがない」と猛反対した。

 だが女性さんは「私を救えるのはダンスしかない」と思い込んだ。教室は週1回だったが、練習は毎日続けた。「夫に気付かれたら止められる」との強迫観念から早朝、近くの公園でこっそりステップを踏んだ。

 「インドに興味があった訳じゃない。でも踊りは必要だった。生きるか死ぬかだった」。それまで行ったこともなかったインド。「あの時、インド舞踊と出会ってなかったら私はつぶれていた」と振り返る。

 子供のころから日本舞踊やモダンダンスを習い、傍らには常に踊りがあった。それを辞めたのは、大学院での研究と結婚のためだった。だから、何があっても踊りだけは続けなければと思い詰めた。

 インド舞踊を始めて、女性はようやく自分を取り戻した。自分の周りもはっきり見えてきた。「家にいろ」と繰り返す夫に嫌気がさし、家を出た。(小松拓矢)